2021年に創業140周年を迎えたセイコー(SEIKO)は、時計界においてまさに類を見ない企業だ。その141年にわたる歴史において、市場にこれほど多様なポジションを確立し、常に時代の先端を見据えることで時計界の常識をも変えてしまった時計メーカーは他にないだろう。
セイコーが誇る長い歴史には、決して揺らぐことのない指針が中核に存在する。それは、より良いものを生み出すのだという、純然たる野心。技術的精巧さ、あるいは美しさという点で、今日までに創り出されたもの全てをしのぐ何かを生み出す、という野心だ。そしてそれこそが、セイコーをクォーツ式ムーブメントの開発へと導いた。
彼らが開発したその技術は、スイスの時計業界を破綻寸前へと追いやり、腕時計を一般の人々に普及させたと同時に、その正確性に革命を起こした。スイスの競合他社たちが誇る仕上げ技術を超えてみせる、という熱意のもと1960年に立ち上げられたグランドセイコー(Grand Seiko)も、その野心が根幹になければ誕生しなかったかもしれない。
一方、2017年に独立し、今や世界的なブランドとなったグランドセイコーの陰で、時計愛好家の大多数にとってミステリアスな存在にとどまっていたのが、もともとはグランドセイコー誕生の翌年に発表されたキングセイコー(KING SEIKO)だ。昨今、満を持してレギュラーモデルとして復活を遂げたこのコレクションは、キングセイコーのオリジナリティを見事確立し、市場におけるセイコーのポジションをさらにゆるぎないものとする仕上げと品質を誇っている。
競争という原動力
セイコーの歴史におけるあまり知られていない事実として、1959年以降20世紀の大部分の間活躍した、第二精工舎と諏訪精工舎という2つのセイコー工場の存在がある。
第二精工舎は、1937年の竣工以来、時計製造の全工程を担ってきた工場だ。しかし20世紀が進むにつれ諏訪精工舎も台頭し、第二精工舎と諏訪精工舎は時には製造の異なる分野を担当、また時には健全なレベルの競争を促すべく切磋琢磨し同じ工程の製造技術を競ったという。
1960年の初代グランドセイコーは、諏訪精工舎からリリースされた。そしてその翌年の1961年、第二精工舎からもキングセイコーが発表されている。いまだによく話題に上る当時の背景について、これらの工場が生き残りをかけた全面的な競争状態にあったと言う人もいる。しかし実際のところそれぞれの工場では同じシリーズ用のパーツが製造されていたため、真相はそれほどセンセーショナルではなく、むしろ共同作業もしばしば行われていたはずだ。
グランドセイコーが、仕上げとディテールという点においてセイコーの頂点であるべきとされてきたなか、キングセイコーもまた、品質と仕上げのレベルを向上させるという同様の野心を持っていた。キングセイコーはやや違う消費者をターゲットとしていたようではあるが、独特なケースデザインを持つ美しく革新的なタイムピースを生み出すことへの献身という点において劣ることはなかったようだ。事実、その競争の早い時期に生み出された多くのケースフォルムは、グランドセイコーが今日提供する製品のデザインスタイルに大きな影響を及ぼし続けている。
キングセイコーの現在
過去数年でグランドセイコーが華々しい復活を果たし、一躍注目を浴びるようになった一方で、キングセイコーはその陰に隠れたままになっていた。しかしそれも、セイコー創業者、服部金太郎による服部時計店の創立(1924年のセイコーブランドの立ち上げへとつながった)から140年となる2021年までのこと。140周年記念を祝してセイコーは、1965年のキングセイコー KSKとほぼ同じ、限定版SDKA001のリリースでキングセイコーの復活を宣言し、時計業界を大いに驚かせた。
細部に至るまでの徹底した仕上げを誇るSDKA001は、極めてエレガントなタイムピースであり、美しく磨かれたエッジ、力強いラグ、そしてクラシックな佇まいのケースを備えている。セイコーの歴史に大きな影響を与えたコレクションを復活させるに、まさにふさわしいモデルだ。60年近く前にそうであったように、キングセイコーはこれまで以上に目の肥えたファンたちのために、セイコーのコレクションをより高い段階へと押し上げるに違いない。ここ数年のグランドセイコーの復活劇が未来を暗示しているのだとしたら、キングセイコーの今後にも、大いに期待できそうだ。