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セイコーの歴史:世界で愛される日本の時計ブランド

Aaron Voyles 著
2024年10月2日
7 分
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セイコーの歴史:世界で愛される日本の時計ブランド

信頼性、イノベーション、そして高いコストパフォーマンスで知られるセイコーは、1世紀以上にわたり時計界において重要な存在であり続けてきた。それは紛れもない偉業であり、日本らしいスタイリッシュなデザインと最先端技術を融合させることで、独自の市場を切り開き、その歴史の中で何度もスイスのビッグブランドに匹敵する魅力的な時計をいくつも生み出してきた。時計の世界に足を踏み入れたばかりの人であれ、経験豊富な愛好家であれ、セイコーの歴史を理解することは、ひたむきに時計を作り続けてきた日本の一企業が、スイスブランドが大半を占める時計業界において、いかにして世界的な大企業となったのかを垣間見る興味深い機会である。

セイコーの誕生

1881年、服部金太郎が創業したセイコーは、時計の販売と修理を行う東京の時計宝飾店から始まった。1892年までには、服部はビジネスを拡大し、東京にある閉鎖されていた工場を購入すると、「精巧な時計を作る」というその決意を意味する「精工舎」という名前のもとに、独自の掛時計を製造するようになった。これがセイコーの時計製造の歴史の幕開けとなり、1895年にはセイコー初の懐中時計、タイムキーパーを発表した。

セイコー初の腕時計

数年間の懐中時計生産に続いて、1913年、セイコーは初の腕時計ローレルを発表。腕時計が比較的新しいものだった当時、それは同社にとって非常に重要な成果となった。競合他社に一歩先んじるという服部の強い決意のもと、ローレルは日本初の腕時計として、同社の将来のイノベーションの礎を築いた。しかし、「精工舎」のブランド名を冠したローレルは、厳密には最初の「セイコー時計」ではなかった。1923年の関東大震災により工場が焼失した後、現在の「セイコー」として再出発を図った1924年に登場した時計が初めてのセイコー時計となった。

1950年代のヴィンテージ セイコー ローレル
1950年代のヴィンテージ セイコー ローレル

グランドセイコーの台頭

グランドセイコーは1960年、当時、時計製造と言えばスイスと考えられていた時計業界に挑むべく誕生した。以来、セイコーは技術の粋を尽くし、精巧で素晴らしい時計作りに注力してきた。同社の高級ラインとして誕生したグランドセイコーは、その文字盤、針、そしてザラツ研磨を施したケースに見られる素晴らしいクラフツマンシップから、時計業界において誰もが知るブランドの一つへと成長した。 さらに、象徴的なスプリングドライブムーブメント、素晴らしいハイビートムーブメント、ハイスペックなクォーツ式ムーブメントなど、グランドセイコーが誇る技術は、はるかに上とされるレベルの他ブランドの時計に匹敵することが多々あると言える。ドレスウオッチからスタートしたグランドセイコーのカタログは、その60年強の歴史の間に、スポーツウォッチ、ドレスウォッチ、カジュアルウォッチ、そしてKodo(鼓動) コンスタントフォース・トゥールビヨンのような高級時計まで、可能な限りであらゆるタイプの時計を網羅するまでに拡大した。

Kodo コンスタントフォース・トゥールビヨン
Kodo コンスタントフォース・トゥールビヨン

セイコーのクォーツ革命

セイコーはその歴史において数々の功績で知られているが、最も重要とされる一つに、1969年に発表されたセイコー アストロンが挙げられる。世界初のクォーツ式時計として発表されたアストロンは、機械式時計とは比較にならない精度を実現し、時計業界に革命をもたらした。この飛躍的な進歩により、セイコーは時計技術のリーダーとしての地位を確立し、計時の新たな基準を打ち立てた。 クオーツ式時計は当時、機械式時計よりも製造やメンテナンスのコストが安く、かつ精度がはるかに高く、技術革新が進む時計製造の世界において次の1歩として必然的と考えられていた。そのため、アストロンはクォーツ危機をもたらすきっかけとなった。そしてスイスの時計ブランドは、アストロンの発売後、市場に溢れた安価なクォーツ時計に大打撃を受け、アストロンは比較的無名であったセイコーの名を世間に知らしめるきっかけとなった。

正確な計時を身近なものにした、初代セイコー アストロン
正確な計時を身近なものにした、初代セイコー アストロン

ダイバーズウォッチの歴史

クォーツ危機におけるセイコーの偉業は伝説的だが、ダイバーズウォッチの世界においてもセイコーには特筆すべき歴史がある。1965年、セイコーは初のダイバーズウォッチであるアイコニックな62MASを発表。深海での過酷なダイビングに耐えられるよう設計され、瞬く間にプロダイバーの間で人気を博した。セイコー セルフデーターと命名された[MA]tic [S](MASの語源)62MASは、セイコーを代表するCal. 62を搭載している。そのクリーンな美しさと機能的なデザインで有名なセイコー 62MASは、しっかりと施されたな夜光塗料、回転ベゼル、そしてはるかに高価なロレックスのサブマリーナーよりもわずか50m減という堂々の150mの防水性により、当時としては驚くべきダイバーズウォッチだった。現在では62MASビッグクラウンは、1967年6月に製造中止となったことから、ヴィンテージコレクターにとって垂涎の的であり、特に他のセイコーの時計と比較した場合、希少な時計であることは間違いない。実際、62MASはセイコーで人気のプロスペックスの基礎となったもので、現在もダイバーたちから愛され続けている。

ヴィンテージ セイコー 62MAS
ヴィンテージ セイコー 62MAS

スプリングドライブの誕生

時計業界を震撼させるムーブメントを世に送り出してきたこれまでの伝統を受け継ぎ、クォーツ式ムーブメントからわずか30年後の1999年に、セイコーは独創的なスプリングドライブムーブメントを発表した。おそらくはクォーツ式ムーブメントほど大変革をもたらすものではなかったが、スプリングドライブはそれでも時計業界にとって重要な一歩だった。機械式時計とクォーツ式時計を組み合わせ、クォーツ式時計の精度と、機械式時計の職人技と滑らかな動きの秒針を実現させた。ヒゲゼンマイと脱進機の代わりに、機械式ゼンマイと水晶振動子の両方がムーブメントに使用されている。1999年の登場以来、スプリングドライブはグランドセイコーのアイデンティティとラインアップに欠かせない特徴となっている。

グランドセイコー スプリングドライブ スノーフレイク:時計業界を代表する名作
グランドセイコー スプリングドライブ スノーフレイク:時計業界を代表する名作

セイコーの現在:最新技術の導入

セイコーは常に新しい技術を取り入れ、競争の激しい時計市場をリードしてきた。セイコー ソーラーシリーズのようなソーラーウォッチの登場は、セイコーがその栄光に満足することなく、新たなイノベーションの開発にいかに力を入れているかを示している。また同社は、ボタンひとつで現地時刻に合わせられるGPSウォッチを最初に発表したブランドの一つでもある。セイコーは技術革新に重点を置きながらも、伝統的な時計製造のルーツや日本の伝統を決して忘れてはいない。日本や、日本の自然からインスピレーションを受けた、熟練した職人の手によって時計を作り続けている。

セイコーの揺るぎない人気

イノベーションと伝統のバランスを保つセイコーの能力は、同社の永続的な人気を確実なものにしている。その時計は、信頼性、コストパフォーマンス、そして時代を超越したデザインで高い評価を受けている。世界中のコレクターや愛好家は、セイコーの豊かな歴史やその時計作りへの姿勢を高く評価し、同社の時計を求め続けている。さらに、セイコーをきっかけとして時計収集という趣味への情熱が芽生えたコレクターたちも多く、高価格帯の時計を持つコレクターからも、変わらず愛されている。

価格に対する価値

前述したように、セイコーの長所の一つがコストパフォーマンスの高さだ。幅広い価格帯で展開され、特にヴィンテージやネオヴィンテージのセイコーを加えると、複雑機構、デザイン、使用例など、時計業界が提供しうるあらゆるものを網羅している。何を求めていようと、予算がいくらであろうと、セイコーなら、これまでも、これからも、さまざまな人にぴったりな時計が見つかることだろう。

 

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Aaron Voyles

Aaron Voyles

時計が持つ芸術的なデザインから、ムーブメントに隠された技術、そして時計にストーリーを与える背景など、時計作りの全てに魅了されています。

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