1969年、冷戦時代の核軍拡競争と並行して、もうひとつの熾烈な競争が時計づくりの世界で起こっていた。それは世界初の自動巻クロノグラフムーブメントを生み出す競争である。それに挑んだのは、静かに自社製ムーブメントの開発研究を何年もの間行ってきていたゼニスと、ホイヤー、ハミルトン・ビューレン、ブライトリング、デュボア・デプラによるスイス時計会社のコンソーシアムである。しかしスイスの時計メーカーたちの知らない間に、セイコーは日本で秘密兵器、6139 スピードタイマーの開発にいそしんでいた。この時計はおそらく世界初の市場に売り出された自動巻クロノグラフだった。これは、最も重要で最も正当な評価を受けていない20世紀のヴィンテージ時計のひとつであり続けるだろう。
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セイコー 6139の誕生
ゼニスはさかのぼること1962年、自社製クロノグラフの開発を始めたが、そのプロジェクトは60年代後半まで一旦棚上げされることとなった。そして1969年の初頭になって、同社はエルプリメロ (“初めての”) キャリバーが発売されると発表したのである。その間、ホイヤーを筆頭にしたスイスの時計メーカーのグループは、クロノマティックを「プロジェクト 99」というコードネームの下に開発していた。クロノマティックはモジュール構造を持つクロノグラフムーブメントで、後にアイコニックなスクエア型のホイヤー モナコに搭載されたキャリバー11として最も有名になる。
セイコーは同時期に同じゴールを目指していた。同社は1964年に自社初のクロノグラフムーブメントをセイコー ref. 5717に搭載している。余談だが、このシンプルかつ美しくエレガントな5717は、セイコーの新しいプレザージュ「Style60’s」コレクションのベースとなっている。とにかく、その素晴らしい業績の喜びもまだ冷めやらぬうちに、セイコーは新しい仕事に取りかかった。並々ならぬ決意と創造力をもって、セイコーは複数の会社の資金とリソースを集めたクロノマティックグループでさえもできなかったこと、つまり自動巻の完全一体型のコラムホイール式クロノグラフムーブメントを作るということを成し遂げたのだ。
ゼニスのエルプリメロもまた完全一体型のものではあったが (ホイヤー キャリバー11はモジュール型)、それは開発に10年近くも要し、同年の後半まで販売開始されなかった。ホイヤーのキャリバー11は、アイコニックなスクエア型のモナコに搭載され、デビューを果たした。そしてこれは1971年に映画『栄光のル・マン』でスティーブ・マックイーンが着用し、話題を呼ぶこととなったのである。この時計は1969年4月のバーゼル・フェアで発表された。これは間違いなく、世界市場に向けて販売が開始された最初の自動巻クロノグラフであった。それでも、当時のスイスメーカーたちの知らないところで、セイコーは日本国内市場向けに6139-6000をすでに製造していたのだった。この時計が小売り市場で初めて販売された具体的な月ははっきりとはわからないものの、ケースバックのシリアルナンバーが1969年の1月と2月までさかのぼるものが確認されている。
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ポーグ、セベール、アイコンの誕生:時計が生まれる過程
ヴィンテージ時計収集の現代において、時計の人気を非常に高め、非常に高価にさせる複数の要因がある。これらには、革新的な機能、有名人の所有者、あるいは歴史的事件との関わりなどが含まれる。オメガにとっては、それはNASAがスピードマスターをアポロ計画の公式認定時計として選んだということだった。ロレックスの “コスモグラフ” デイトナはもともとは商業的な失敗時計だった。にもかかわらず、俳優ポール・ニューマンが所有していたエキゾチックな文字盤のバージョンが、ヴィンテージ時計収集の様相を変え、史上最も高価な時計のひとつとなったのである。
こういったストーリーを考慮に入れると、セイコー 6139 スピードタイマーは、まさに不可解な謎にほかならない。その歴史的な重要性はリリースのタイミングやムーブメントの複雑さだけにとどまらない。1978年に最終的に廃盤となるまで、この時計は裕福な有名人たちの手首を飾ってきた。そのアドレナリンを刺激する名前のおかげで、この時計はフォーミュラ1のサーキットを巡り、成層圏を超えて宇宙へも飛び立ったのだ。
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月へ行ったセイコー: 宇宙飛行士ウィリアム・ポーグと彼のセイコー スピードタイマー
伝えられているところによれば、1973年のスカイラブ4号ミッションにおいて、NASAの宇宙飛行士ウィリアム・ポーグ大佐は、私物であるイエローのダイヤルが鮮やかな1971年のセイコー 6139-6005を使い、さまざまな機動飛行やエンジンの燃焼時間などを計測した。オメガ スピードマスターが当時のNASA宇宙飛行士の標準の公式認定時計であったのだが、ポーグは訓練時にはまだスピードマスターを受け取っていなかった。スカイラブミッションへの出発にあたり、彼は、ひとつは標準装備の公式時計、もうひとつは自分が信頼をおく使い慣れたタイムピース、その両方の時計をお供に宇宙へと旅立った。こうして、NASA認定の時計ではないにもかかわらず、セイコー 6139は宇宙へ行った史上初の自動巻クロノグラフとなったのである。このことからこの時計は「ポーグ」というニックネームを得た。
同じ年、地球上では、若きフランス人レースドライバー、フランソワ・セベールが、フォーミュラ1界の人気急上昇スターのひとりとして急速に名を上げていた。セベールはしばしば、彼の美しいブルーのティレルレーシングカーに完璧に調和するブルーの文字盤を持つ、1970 セイコー 6139-6009を装着しているのを目撃されている。セベールはレースサーキット上でスピードタイマーの価値を認識していた唯一の人間というわけではなかった。ル・マン24時間レースに初めて参戦した日本人レーサーのひとり、生沢徹もまた、1969年のブルーの6139-6000を愛用していた。ピンク・フロイドのドラマー、ニック・メイスン、そして “ドラゴン” ブルース・リーも、6139ムーブメントを持つ時計を着用していた。
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無名の存在から、コレクターのお気に入りへ
こういったすべての歴史を考えると、セイコー 6139の現在の市場価格を理解できずに頭を抱えてしまうのも無理はない。改造用部品が使われた低価格の時計が多く存在するものの、本物のパーツを使用した高品質のものをおよそ11万円から33万円ほどの価格でいまだに見つけることができるのだ。確かに、近年になって若干価格が上昇してきてはいるが、それでも数百万円はくだらないゼニス エルプリメロやホイヤー モナコからすると、まだまだその価格は低い。
比較的少数の熱心なコレクターたちを別にすれば、より幅広いヴィンテージ時計コミュニティーでは、大体のところ、セイコー 6139は初めの1本のような位置付けがされている。つまり、より偉大な時計を買えるようになる前にまず買っておく時計ということ。その静かで遠慮がちな態度と確固たる焦点をもって、セイコーは同じようにこの歴史的価値を持つタイムピースの名高い歴史を祝うことを怠っている。時計学史上における当然の地位を6139がいまだ獲得できていないということは少々残念ではある。しかし良い方向に考えれば、この素晴らしいタイムピースが欲しければ手が届く価格であるということなのだ。まだ今のところは。
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