現行のステンレス製パテック フィリップ ノーチラスに2700万円以上、ポール・ニューマンが所有していた古いロレックス デイトナに20億円以上、そして最近までほとんど知られていなかったメーカーの希少なヴィンテージウォッチに数十万円の価格が付けられている。ほとんど手に入らない最新の高級時計や希少なヴィンテージウォッチの価格はここ数年間で高騰しており、特定のブランドとそのモデルにおいては、まともには考えられないような価格に到達している。
移り変わりの激しい市場、感情に強く訴えかけるブランドコミュニケーション、人工的な希少性の時代において、人々の時計への渇望はますます高まりを見せている。時計に対する情熱や投資的関心、または金持ちであることを他人に見せびらかしたいという願望など、理由は違えど世界的に見ても驚くほど多くの人々が非常に高額な時計に投資している。この記事では、主観的な購入動機と客観的な購入動機を等しく扱いながら、希少な時計または手に入れることが難しい時計の価格を決める要因について見ていく。
1. 需要と供給の市場法則
自由市場経済では需要がいわゆる均衡価格を調整する。大雑把に言って、この価格は市場での商品の供給量と需要量が一致するところで生じる。具体例を挙げよう。タグ・ホイヤーは新作アクアレーサー プロフェッショナル 200 デイトを自社の販売網を通して定価33万円で販売したく、ファンはこの価格でも新作アクアレーサーを買いたい。この場合、「需要」と「供給」が一致し、均衡価格は33万円になる。また、この時計は問題なく手に入れることが可能で、それどころかひょっとしたら供給過多になっている。後者の場合、状況によってはアクアレーサーの価格が下がり、定価が値崩れを起こす可能性がある。
1960年代に製造された状態の良い希少なタグ・ホイヤー オータビア(Ref.2446C GMT)を探しているとしたら、価格の設定はまったく異なってくる。この場合、均衡価格は不安定になる。なぜなら、このようなモデルは希少で人気が高いからだ。この時計の価格は発表された時、たったの数万円だったが、現在の価格は約165万円。これは時代遅れの技術を搭載した中古時計なのであり、価格上昇の理由を合理的に説明することはできない。つまり、このようなモデルの購入動機は十中八九クラシックカーの場合と同じく、純粋に感情的で情熱的なものなのである。
しかし、メーカーが非常に需要の高い製品を十分に供給せず、またはできず、最終的にその製品が市場から消える場合、均衡価格は完全にコントルール不能になる可能性がある。お察しかもしれないが、その典型的な例が生産終了となったパテック フィリップ ノーチラス Ref.5711/1A-010である。元々ほとんど手に入れることができなかった時計は、生産終了のアナウンスがある前からすでに約400万円する定価の倍の価格で取引されていた。2022年4月中頃、Chrono24におけるこのモデルの平均価格は完全にタガが外れて約2800万円となっている。
このステンレス製のノーチラスは時・分・秒、そして日付を表示する本当にシンプルな時計だ。ムーンフェイズ表示、スモールセコンド、パワーリザーブ表示を備えたパテック フィリップ ノーチラス Ref.5712/1Aの市場価格がこの時計より約80万円も安いことは、ほとんど異様に思われる。このモデルの定価が590万円強であることを考えれば、首を横に振るしかない。ここで均衡価格が調整されることは決してないだろう。
まとめ:供給が少ない場合の大きい需要、または感情的に盛り上げられた欲望が高級時計の価格を決める。人気ブランドのシンプルな3針時計の価格は、人気で劣るブランドの非常に複雑な時計よりも大幅に高額になることがある。
2. 代替資産へのシフトと人工的な希少性
低い利子、上昇する不動産価格、コロナ禍、気候危機、ウクライナへのロシアの侵略戦争。人類はまたもや時代の転換期を迎えている。すでに不動産を所有していたり、少々金を蓄えていたり、株式市場が大きく変動しているため頭を抱えていたりする人々は、アートや宝飾品などの代替資産を探している。高級時計はその両方を兼ね備えているため、まさに打ってつけといえる。芸術的な時計は手首を飾るアクセサリーであると同時に、堅実な投資でもあり得るのだ。
世界的に見て、ますます多くの人々が時計の資産性を認識し、希少な時計に自身の財産を投資しているように思われる。高級時計の世界市場への殺到によって、かつて簡単に手に入れることができたモデルは現在希少になってしまっている。とりわけ、若い金持ちの中国人は高級時計に対する情熱を発見したようだ。これは中でもロレックスやパテック フィリップ、オーデマ ピゲなどのブランドにおいて少し前から見ることができる。これらのブランドの時計は比較的大量に製造されているため狭義では希少とは言えないが、定価で手に入れられる可能性はほぼゼロに近い。
時計業界はこの世界的な需要の高まりを、もちろんはるか以前から認識しており、さまざまな策を講じている。特に好んで用いられる方法は人気時計シリーズの限定エディションである。時計ブランドのオメガは限定版を作るのが特に巧みだ。人気のスピードマスター プロフェッショナル ムーンウォッチの限定エディションは現在数え切れないほど存在し、それらの一部はかなりの金額で取引されている。
2015年にリリースされたオメガ スピードマスター シルバー スヌーピー アワード(Ref.311.32.42.30.04.003)は、その好例である。この時計は1970年のアポロ13号ミッションを想起させ、1970本に限定されている。文字盤にはNASAのマスコットであり、アニメ作品『ピーナッツ』で有名なビーグル犬であるスヌーピーがあしらわれている。この時計の当時の定価は76万6800円であったが、現在は400万円以上の価格を見積もっておく必要がある。2012本限定生産のスピードマスター スピーディー チューズデー2 “ウルトラマン” も同じような状況である。この時計の9時位置の秒針には、ウルトラマンの変身アイテム「ベータカプセル」があしらわれている。サブダイアルの針の下には、ウルトラマンの頭のシルエットがあり、UVライトを当てると浮き上がる仕組みになっている。
当時の定価である76万7000円は5年ほどの間にほぼ3倍になった。忘れてはいけないのは、この時計が技術的には比較的安い約62万円で購入できる標準モデルとまったく同じであるということだ。
まとめ:代替資産へのシフト、厳しく限定された生産本数、人工的な希少性、そして外観の差別特性は、希少な時計の価格を決定付ける。
3. 時計の歴史と以前の所有者 時計の背景にあるストーリー
1960年代、ロレックス コスモグラフ デイトナはみにくいアヒルの子と見なされており、非常に高額で、正規販売店のショーウィンドウで埃を被っていた。ロレックスはこのモデルの販売を中止するつもりであったが、ポール・ニューマンがこの時計を愛用しだすと事情が変わった。ポール・ニューマンはエキゾチックダイヤルを搭載した私物のデイトナ Ref.6239を進んでカメラの前で身に着けていた。そして、その姿は多くの写真に残されている。この時計の裏蓋にはニューマンの妻が夫を気遣う「Drive Carefully Me」の文字が刻印されている。1980年、ニューマンはこのデイトナを娘の当時の彼氏にプレゼントした。この時の時計の価値は約2万7000円であった。
2017年、ニューマン家は古いロレックス デイトナを引き出しから取り出し、オークションにかけることに決めた。その後のことは周知のとおり。2017年10月、ポール・ニューマン デイトナはオークションにて約20億円で落札された。数万円をこれ以上有効に投資できる方法は皆無だろう。
もちろんこれは極端な例であり、このようなことが毎日起こるわけではない。しかし、このオークションはすべてのデイトナの価格を上昇させた。その好例がデイトナ ポール・ニューマン Ref.6264で、この時計の価格は2年以上前から4000万円前後を推移している。
しかし、これはロレックスに限った話ではない。1979年に公開されたフランシス・フォード・コッポラの反戦映画『地獄の黙示録』で、ウィラード大尉を演じるマーティン・シーンが身に着けていた時計はセイコー ダイバー Ref.6105-8110。時計ファンがこれを見逃すわけがなく、それによってこのモデルは熱狂的な人気を獲得した。Chrono24ではそれでもこのヴィンテージモデルを約27万円(元の価格の数倍に相当)で購入できる。セイコーはこの時計の人気に気づき、ウィラード大尉の名の下に13万円強で購入できる複数の新作モデルを同時にリリースした。
有名な時計着用者の例は他にも数多くある。スティーブ・マックイーンはたくさんの時計を身に着けたが、特に有名なのは1971年に公開されたカーアクション映画『栄光のル・マン』で着用したタグ ホイヤー モナコ Ref.1133である。この時代に製造された個体の価格は約200万円だ。現在、タグ ホイヤーは無数のモナコモデルをリリースしており、その中にはもちろん限定モデルもある。しかし、どのモデルも最新のオリジナルの価格には達していない
5月7日から8日の間に、エリック・クラプトンのゴールド製ロレックス デイトナ Ref.6239がジュネーブのオークションハウス「フィリップス」で競りにかけられる。推定落札価格は約2億円。おそらく、Chrono24においてもこのリファレンスの市場価格が上昇することは間違いない。
まとめ:希少な時計または時計シリーズの価値は、その歴史によって大きく左右される。さらに、時計が有名人によって所有されていた場合、予想外の金額に高騰する可能性がある。
4. 生産地と名声 「スイス製」のブランド力
スイスは現代的な時計製造発祥の地と見なされている。過去数世紀にわたって、高級時計の品質と精度に関してこれ以上の名声を博すことができた国は他にない。スイス製時計は今でも伝統と優れたクラフトマンシップの代名詞だ。しかし、1980年代、日本のクォーツ時計によって引き起こされたクォーツショックによりスイス時計業界は崩壊し、その結果無数の時計メーカーが廃業した。数年後、熱心な時計愛好家であり実業家でもあるジャン-クロード・ビバーやニコラス・G・ハイエックなどの人々が、最も重要なブランドを復興させ、現在のスウォッチグループに統合した。
新たなスイス時計業界の先駆者の信念は明確であった。それは、これまでもこれからも、世界最高の時計はスイスで生産されるということだ。この誓いはほぼすべてのスイス時計メーカーによって世界的な広告キャンペーンで大々的に展開されており、効果を上げている。
もちろん、一流の時計がドイツやフランス、日本でも生産されていることは承知しているが、「スイス製」のブランド力はほとんどすべての購入者を抗しがたい力でひきつけている。しかし、ほとんどの人は、バリューチェーン全体がスイス内にあるスイス時計ブランドはわずかであることを認識している。
それによって、多くの大手スイスブランドと互角に張り合えるグランドセイコーの時計であっても、価値を保つことが難しくなっている。これは、グランドセイコーが神話の形成と巧みなマーケティング活動を行っていないせいでもあることは間違いない。
そのため、一流のハイビート自動巻きキャリバーを搭載したグランドセイコー GMT Ref.SBGJ237は定価が79万2000円であるのに対して、市場価格は約70万円となっている。これと正反対であるのがロレックス GMTマスター II 126710BLNR “バットマン” で、定価が118万9100円であるのに対して、市場価格は320万円を超えている。
本稿執筆時点において、Chrono24マーケットプレイスでは487本のロレックス “バットマン” が出品されていたが、セイコー “バットマン” はたったの44本しかなかった。このような比較はいくらでも挙げることができるだろう。わずかな例外を除き、スイス時計には他国の同じ水準の時計よりも高い価値が付けられている。
まとめ:ブランドと生産地は時計の価格および価値に決定的な意味を持っている。価格の保持に関して、他国の大抵の時計メーカーがスイス時計業界のメーカーと張り合うことは難しい。時計のバリューチェーンのどれだけの活動がスイス内で行われているのかに関係なく、「スイス製」は強いブランド力を持っているのだ。