筆者の一番大切な時計といえば、その答えは簡単だ。セイコー SBDC001 “スモウ” こそが最も意味のある時計だ。しかし、この時計はお気に入りでもなければ、最も素晴らしい時計でもない。しかし、筆者のコレクションの中で一番大切なものだ。なぜか?それは時計業界でのキャリアのきっかけとなった時計だからだ。そして今日に至るまで、身に着けるたびに毎回感動を与えてくれる。この時計は、時計業界における筆者の人生を、最もよく語ってくれる1本である。
時計に対する情熱の始まり
筆者が初めて本格的に時計に興味を持ったのは2003年頃、つまり20年ほど前のことだ。当時、筆者はオランダのデン・ハーグに引越し、現地の時計雑誌、『フラテッロ』の創刊者であるロバート=ヤン・ブルールと知り合った。我々はすぐに良い友人となり、ロバート=ヤンは時計、特にオメガ スピードマスター プロフェッショナル ムーンウォッチに関するものすごい量の知識と熱意を共有してくれた。そして筆者はすぐに機械式時計の魅力の虜となり、最終的に人生の中心を占めるようになった。

しかし時計に興味はあったものの、購入については資金面で難しかった。当時の筆者は、音楽の道へも進んでいきたいと思っていたため、そのための資金も必要だった。自分のキャリアをスタートさせたばかりで、賢くお金を使わなければならなかった。さらに、未来の自分のデイリーウォッチとして、オメガ スピードマスター プロフェッショナル ムーンウォッチかロレックス シードゥエラーのどちらかに狙いをつけていた。2000年代初め、この2つの時計は現在のような価格ではなかったものの、それでも十分に高価だった。
予想外の初めての本格的な機械式時計
しかし、筆者を本格的に時計の世界へと引きずり込んだのは、スピードマスターでもシードゥエラーでもなかった。ある日、ロバート=ヤンはから、彼が持つセイコー SBDC001が欲しいかと尋ねられた。この日本国内市場向けJDMモデルは2007年にデビューし、セイコーのモダンなダイバーズウォッチのひとつである。
他の多くのセイコーのダイバーズウォッチと同じように、 “スモウ” というのはニックネームで、つけたのはファンたちだった。そのニックネームの由来が何かということに関しては、諸説ある。しかしおそらくは、SBDC001のシルエットが力強く立派な力士を連想させるからということだろう。
ロバート=ヤンからスモウを譲り受けると、あっという間に筆者の日常使いの時計になった。それまでは、たくさんのG−ショックとあまり本格的ではない機械式時計をいくつか使っていた。しかしロバート=ヤンは、このセイコーが筆者の時計に対する考えを変えると知っていたのだ。
スモウは最初から、その品質の良さと魅力で筆者を感動させた。ロバート=ヤンからはステンレススチール製ブレスレットも一緒に受け取ったのだが、常にブラックのセイコー製ラバーストラップを合わせていた。もともとのブレスレットは業界一ではないし、ラバーストラップの見た目が好きだったのだ。こうしてスモウは何年もの間、筆者のデイリーウォッチとなった。そして間に筆者の中で何かのスイッチが入り、機械式時計に対する興味は情熱へと変わったのである。

スモウの何がそこまで特別なのか?
では、このスモウが特別な時計なのはなぜなのか。時計に関しては大抵のことがそうであるように、重要なのはディテールだ。パッと見ただけでは、この時計は世の中の多くのダイバーズウォッチのひとつのように見える。わずかに違うのは、ベゼルインサートに使われた数字の風変わりなフォントだけだ。慣れるのに若干時間のかかるが、重要なディテールだ。今ではその独特な存在感が大好きだし、筆者にとっては際立った個性となっている。
同じことが、カーブ部分に美しい掘り込みが入ったラグを持つ大型の45mm径のケースにも言える。正しいアングルから見ると、優雅なラインと多面的なケース側面が滑らかにラグへと繋がっているのがわかる。もうひとつの優れたデザイン上のディテールは、ベゼルが若干、ケースに埋め込まれていることだ。そのために層ができ、ケースの厚みはほどほどにスリムになることで、かなり大きなサイズにもかかわらず、この時計は着けやすいものになっている。特徴的な4時位置に配置されたリューズ、素晴らしい針、際立ったベゼルデザインを持つスモウは、うまくバランスが取れた注目に値する多数のディテールを備えた時計であり、セイコーのモダンなダイバーズウォッチの中で最高のもののひとつである。
スモウが私のキャリアを変えた経緯
この時計は筆者の時計コレクションのべースとなり、時計への情熱を刺激した。さらに機械式時計、特に “スモウ” への熱意は、時計にまつわる記事の執筆へとつなげた。ジャーナリストを本業とするものとして、自身が興味を持つものについて書くということは理にかなっていた。過去、筆者は音楽について書き、アルバムやライブのレビューをし、さまざなアーティストたちにインタビューをしてきた。しかしそれは、常に副業として行っていたものだった。
2016年、Chrono24マガジンに寄稿するという形でチャンスが訪れた。またとない機会だった。最初のうちは、デザイン会社でデザイン戦略の仕事をするかたわらのちょっと楽しい副業というものだった。そして2019年、Chrono24マガジンとフラテッロに寄稿することが、本業となった。それは人生の中でしてきたうち、最高の決断のひとつであり、一度も後悔したことはない。

そして、スモウはどうなったかと言うと、長年の間、他の時計たちがコレクションに加わるにつれて、スモウをあまり使わない期間ができるようになった。しかしスモウを手に取るたび、スモウはいつもと変わらないままで、筆者に特別な繋がりを思い出させてくれる。
また、筆者はスモウに新しいストラップを着けてみるのが好きで、そうしていると、再びその魅力に気が付くのだ。この時計には、いろいろなストラップが似合う時計で、いつも感激する。しかし何よりも、スモウは時計業界における筆者の人生のストーリーを最もよく語ってくれる時計だ。そしてこのことが、セイコー SBDC001 “スモウ” を、筆者のコレクションの中で最も大切な時計にしている。